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日曜の夜くらいは【考察】エンディング映像が毎回違う理由

ドラマ「日曜の夜ぐらいは」が今季一番おもしろい!と話題になっています。

今季から始まった枠のドラマなので知らない人も多いかと思いますが、本当におもしろい!

ブラッシュアップライフロスだったので、また日曜の夜が楽しみになりました。

 

今回はエンディング映像が毎回違う理由について考察していきたいと思います。

この記事で分かる内容はこちら。

・「日曜の夜くらいは」【考察】エンディング映像が毎回違う理由

・「日曜の夜くらいは」のエンディング曲

 

「日曜の夜くらいは」【考察】エンディング映像が毎回違う理由

さっそく「日曜の夜ぐらいは」のエンディング映像が毎回違う理由について調べてみました。

理由:今の困難な生活から抜け出した様々な未来を表している

 

エンディング映像の前半は細かな部分は違う所もありますが、大まかな流れは同じになっています。

違ってくるのは後半ですね!

1話・・・高級レストランではしゃぐ3人
2話・・・高級ホテルではしゃぐ3人
3話・・・屋上でサングラスをかけて空を見つめる3人

 

以上3話までのエンディング映像から考察すると、1話と2話は「自分に甘く、ご褒美を」という意味を感じます。

また3話ではみんな一緒にジャンプしている所から、前に進む3人の人生を表しているのではないでしょうか。

 

3話は最後に苦しい展開になりましたが、エンディング映像が楽しそうなので救われましたよね!

最終回では3人共幸せになるのでは?と予測できるエンディングですよね!

「日曜の夜くらいは」のエンディング曲

そんな楽しげなエンディング映像ですが、エンディング曲もとても素敵で元気が出る曲なんです。

Mrs. GREEN APPLE

ケセラセラ

 

ケセラセラとは「Lo que será, será」というスペイン語の語彙を使った言葉です。

しかしスペインではあまり使われておらず、英語圏でつくられた造語と言われています。

1957年の米国映画『知り過ぎていた男』の主題歌で、広く知られるようになりました。

 

「ここを乗り越えたら楽になる」など歌詞通りとても前向きな曲になっていると共に、ドラマの内容にも沿っていてこの3人には明るい未来が待っていると想像できますね!

最終回ではきっとこのエンディング曲とエンディング映像のように、3人が楽しく過ごすことができていると思いたいです。

まとめ

今回まとめた内容は「日曜の夜くらいは【考察】エンディング映像が毎回違う理由」でした。

エンディング映像が毎回違う理由は、3人の未来が明るいと表していると考察しました。

その中でも3話は1歩踏み出す姿が描かれており、明るい未来が想像できましたね。

3話の終わりには親にお金を取られてしまったり、高級美顔器を買ってしまったりと悲しいシーンが描かれていましたが、エンディング曲と映像で「それでも未来は明るい」と信じることができます。

3人がどのように前に進んでいくのか見どころですね!

 

 

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